ひな祭り - 2018年3月3日 -

ひな祭りの起源や語源、歴史、
またひな祭りに行われる行事などひな祭りに関することを解説。

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ひな祭りの始まり〜平安〜

ひな祭りといえば、3月3日の桃の節句に、女の子がいる家でひな人形を並べて着物を着てひなあられを食べたりする日本の伝統行事ですね。

しかし、3月3日というのは、和暦(旧暦)の3月3日であって、今の新暦でいうと4月3日にあたります。桃の節句というのは、4月上旬が桃の花の咲く季節だからです。香川県や兵庫県の一部の地域では、八朔(旧暦の8月1日、新暦の9月1日)にひな祭りをやる地域もあります。

その起源は諸説あるものの、ひな人形の衣装から想像できるように平安時代にさかのぼります。当時、宮中や貴族の女の子たちは人形と屋敷の模型を使って人形遊びをしていました。今で言うところのおままごとです。それとは別に、穢れを祓う儀式として紙でできた人形を自分の身代わりに川に流す人形雛ということも行われていました。その二つが合わさり、人形雛を飾るという風習ができたようです。

ひな遊びがひな祭りへ〜江戸〜

江戸時代になると、人形遊びと節句の祓いの行事を合わせた形でひな祭りの原型が行われるようになります。全国的にひな祭りが広まったのは16世紀末ごろと言われています。

江戸時代初期は、ひな人形を飾りというよりも祓いの依り代という意味合いとして飾ることが多く、その姿は立った姿や座った姿まで様々でした。数も、内裏雛の男女を一対だけ並べる簡素なものでしたが、一度飾った人形に一代の災いを背負わせるということから祭儀的な意味合いが強くなり、武家の子女の嫁入り道具としても数えられるほどになりました。

自分の家の経済力を示す目的でも、ひな人形は自然に豪華になり、作りも職人の手によってどんどん精巧になっていきました。幕府によって消費が規制され、大きな人形が作られなくなると、小さくて精巧な人形が出回るようになりました。

現在のひな人形に至るまで

19世紀、江戸時代後期になると、ひな人形には宮中の美しい十二単などが再現された装飾が施されるようになります。そして、現在のひな人形の元になる古今雛が生まれます。

人形の種類も男女の内裏だけでなく、囃子人形や官女なども作られセットがどんどん豪華になっていきました。目は現在のようにガラスで作った玉眼が入れられるようになりました。

ここで現在のひな祭りの姿はおよそ完成したのですが、その後も変わっていったものとして内裏雛の男女の並べる向きがあります。

日本には古くより左上位という言葉があり左の方が偉いとされ、江戸時代、天皇・皇后両陛下が並ばれるときは、天皇が左に立ちました。それにより、男の内裏雛も左に置かれていたのですが、明治の文明開化によって西洋化したことから、右側におかれることが一般的になりました。ただしこれも、地域や流派によって異なります。

ひな祭りの由来は何なのか

ひな祭りは日本において当然のように行われている行事ですが、この由来にはまず上巳の節句というものが関係しています。

これは三月上旬の巳の日に行われていた古い節句のことで、この日には草などで編んで作った人形に人の穢れ、つまり厄などを移して川に流して平穏無事を願うという行事でした。

これだけだとひな祭りに繋がる理由が見えてきませんが、もう一つ由来として押さえておくべきなのが「ひな遊び」の存在です。これは平安時代の貴族階級の女の子の遊びで、紙で作った人形を使ったいわゆるおままごとでした。

時間が経つにつれてこの紙の人形が先に挙げた上巳の節句の人形と混ざり合っていき「川に紙の人形を流す」という、今で言う流し雛の風習に繋がり、それが変化して現代のひな祭りに繋がっていったのです。

女の子の節句になったのは江戸幕府の頃から

しかしこうした上巳の節句のころはまだ男女での差が無く、ただ単に多くの人の邪気祓いの行事だったという点は間違えてはならないポイントです。

ではいつから女の子の節句になったのかというと、これは江戸幕府が「3月3日をひな祭りの日と定め、ひな人形を飾る」という文化として制定して広めたことが関係しています。

これによってひな祭りは宗教的な側面の強い邪気祓いとしてではなく、女の子の健やかな成長を祈念する年中行事として庶民にも受け入れられていったわけです。

またその後にはひな人形が嫁入り道具のひとつに数えられるなど、日本人の生活にも欠かせない文化となっていったのです。

ここでひな人形を流すものから飾るものに変えていったことも、今日にある豪奢なひな段飾りを作るのに関係していたと言えます。

ひな祭りには縁起に関わるものが多くある

さて、ひな祭りとはこういった由来で作られた文化であるとしたうえで、もう少し細かなところまで目をやるといたるところに縁起に関するものが見受けられます。

例えばひな祭りで飾る桃の花は古くから長寿の象徴であり魔除けの力を持つとされていましたし、桃色、白色、緑色の三色からなる菱餅は花が咲く、雪が溶ける、芽吹くという一年の流れを象徴しています。

またハマグリのお吸い物は、ハマグリがそれぞれ違った形をしていてぴったりとくっつくことから、夫婦円満を象徴するものとされており、散らしずしはエビを入れることで腰が曲がるまで生きられる、菜の花を入れることで春の訪れを家族で感じて幸福を願うといった意味があります。

普段何気なく過ごしているひな祭りでもさまざまな由来がありますから、そうしたことを知った上で楽しむのも良いでしょう。

そもそもひな祭りとは一体どんな行事?

ひな祭りは、女の子のための行事であり、女の子の初節句にひな人形を用意して、健やかな成長と幸せを願いながらお祝いをします。

ひな人形を飾ったり、ひなあられを食べたり、甘酒を飲んだりといった風習が今も続けられている、伝統的な年中行事・風物詩のひとつですね。

さて、日本には平安時代よりはじまったとされている「五節句」という行事があり、季節の節目に身の穢れを祓い、健康長寿や厄除けを願うという風習がありました。

現在も残されており、五節句は、1月7日の「人日(七草がゆ)」、5月5日の「端午(菖蒲の節句)」、7月7日の「七夕(星祭)」、9月9日の「重陽(菊の節句)」があり、そしてひな祭りである、3月3日の「上巳(桃の節句)」もそのひとつのうちに数えられます。

ひな祭りのはじまりと語源

ひな祭りの始まりは、2つの行事が結びついて行われるようになったとされています。1つは、貴族階級の子女が、天皇の御所をイメージした御殿や飾りを付けて遊ぶことによって、将来続く健康と厄除けを願った「雛あそび」が挙げられます。

次に2つめとして、和紙で作った人形に災いを託して、川や海へ流して災厄をはらうという民俗行事のひとつ「流し雛」が挙げられます。

これら2つの行事である「雛あそび」と「流し雛」が宮中の貴族階級で行われるうち、徐々に庶民へと伝わって行きました。そのとき庶民の間へと広まる過程で、この2つのお祭り・行事が合わさって発展して、今の「ひな祭り」の形式になったとされています。

2つとも語源となる「雛」ははじまった当初から両方に用いられていました。

ひな祭りの遍歴・現在への形式へ

2つの行事が混ざってもまだ変化はあり、徐々に現在の形式へと変化していきました。行事のひとつ「流し雛」では、紙で作った人の形をした「人形」を作り、川に流していました。この人形と、もうひとつの行事である「雛あそび」の人形が結びついて、現在のひな人形の原型ができたのです。

その後、人形作りの技術が向上して豪華な人形が作られるようになり、「流す」ものから「飾る」ものに変わっていきました。なお、上流階級では嫁入り道具として豪華な雛人形を持たせるようになり、婚礼の様子をモデルにしたものが好まれるようになりました。最初は「内裏雛」だけでしたが、二段、三段と数が増え、最終的には七段にまで増えて行きました。

こうしてひな祭りは、祓いの儀式であったものが徐々に形式を変えて、女の子の成長と幸せを願うお祭りとなり、庶民の間へ定着していき現在に至ります。

ひな祭りが始まったのは1000年以上前

ひな祭りは日本においても長く愛されてきた文化のひとつですが、その歴史は極めて古く1000年以上前まで遡ることができるとされています。

もちろん現代のひな祭りと全く同じものだったというわけではないのですが、平安時代中期ごろの記録を見ると女の子の人形遊びとして行われていた「ひな遊び」の存在をうかがい知ることが可能です。

このひな遊びの頃は祭りなどの儀式的な要素は少なかったのは確かであるものの同じ時期に紙で作った人形を川に流す「流し雛」という文化も見られており、この厄除け祈願としての流し雛と女の子の遊びであるひな遊びの二つが1500年代、江戸時代初期に結びついたことで、現在のように雛人形を飾って女の子が健やかに育つことを祈念するひな祭りという文化が成立したとされています。

現在のひな祭りが出来たのは18世紀ごろ

しかしこうした1500年代のころのひな祭りが現代のものと同じかと言われるといくつかの違いもあり、特に大きい違いとなっているのがひな飾りの違いです。

江戸時代初期のひな飾りは男女一対の内裏雛を飾るのが一般的であり、現代のように三人官女や五人囃子といった従者人形は存在していませんでした。

現在のようにお内裏様とお雛様、それに三人官女と五人囃子といったセットが一般的になったのは18世紀ごろのことで、幕末の頃から豪奢な飾り物としての性質を強めていった雛飾りがだんだんと普及していくことになります。

豪勢なひな飾りとしてイメージされる五段飾り、七段飾りといった飾りが確立したのもこのころとされていますから、現在のひな祭りが成立したのは18世紀ごろと考えるのが妥当でしょう。

現代におけるひな祭り

さて、それでは現代におけるひな祭りはどうなったかというと、これは女の子が健やかに育つことを祈念する儀式的なものとしてよりは、女の子が節句を迎えたことをお祝いして家族が集う団欒のための時間として使われることの方が一般的です。

孫娘が生まれたお爺さん、お婆さんが孫娘の笑顔を想いながらお雛様を贈るというのは日本全国どこでも見受けられる風景ですし、ケーキやちらしずしといった食事で幸せな時間を送ることもよく見られます。

どのような形であれ一番大切なのは節句を迎えた女の子をお祝いすることですから、例えば「元々の祭りとは違うから邪道だ」といった考え方は間違えているものではないものの適しているとも言えないでしょう。

もちろん現在でも伝統的なひな祭りを継承する団体もおり催し物も多く催されていますから、もしより文化に親しみたいということであれば催し物に参加するのも一興です。

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