ビキニ・デー 3月1日

ビキニ・デーの起源や語源、歴史、
またビキニ・デーに行われる行事などビキニ・デーに関することを解説。

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ビキニ・デー

1954年3月1日は、アメリカの水爆実験によって第五福竜丸の乗組員23人が被爆した日です。この被爆によって、水爆実験や核兵器の反対運動が高まりを見せたことから、毎年3月1日がビキニ・デーとして制定されました。水爆実験の背景には、アメリカとソ連での核開発競争の激化があり、1954年以前からもたくさんの水爆実験が行われていました。実験で放出された大量の放射性物質は、人間だけでなくその海域の魚にまで及びます。

ビキニ・デーのきっかけとなる1954年は、アメリカによって6度も水爆実験が行われました。威力は最大のもので、広島原爆時の千倍とも言われていて、第五福竜丸の船員が被爆した3月1日は15メガトンもの大規模な実験が行われたようです。アメリカが想定していた危険海域を大きく超える範囲まで、放射性物質は飛散し、爆発と衝撃波によって木々やサンゴ礁を消滅させました。実験の舞台となったビキニ環礁の生物は、そのほとんどが死滅したと考えられています。当時のアメリカが水爆実験を行っている時、第五福竜丸はビキニ環礁から160キロほど離れた地点で漁をしていました。乗組員は実験によって飛んできた死の灰と呼ばれる、サンゴ礁の粒子を含んだ灰を体中に浴びることになり、放射線の影響で嘔吐や頭痛といった症状が出ました。この事実が新聞記者に知られ報道されたことによって、日本中がこの件について騒ぎました。多くの人が被爆の事実を知ったことで、水爆実験の反対運動が広がり、ビキニ・デーとして認知されるようになりました。

ビキニ・デーの特徴として挙げられるのは、メディア作品の中で核実験について示唆するようなものが作られている点です。第五福竜丸が被爆した年には、ゴジラが公開され、ゴジラの出自が核実験によるものという説があることから反核運動の作品として話題を呼びました。また2016年にもシン・ゴジラが公開され、多くの人々に見られています。また、被爆したのは日本人だけでなくマーシャル群島の住民も大きな被害を受けており、その事実も世界が認識する必要があります。

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