宝くじの長い歴史と当せん番号それぞれの意味 - 宝くじの日 2018年9月2日 -

宝くじの日は、「く(9)」と「じ(2)」の語呂合わせから9月2日に制定されました。日本の宝くじの歴史の始まりは江戸時代、現在の大阪府箕面市にある瀧安寺でおこなわれた富くじで、当せん者に健康祈願と福運を授ける意味でお守りが授けられたのです。

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占いや神のおつげの意味も、長い歴史をもつ宝くじ

くじには、約2000年以上の古い歴史があるのです。紙片などのものやサイコロ、印や番号などを選ぶことで、人の意思と関係なく公平にもの事を決める方法として、くじは占いや神のおつげなどの意味でも用いられていました。

古代ギリシャでは汚職を防ぐ意味で、壺の中から白い豆を選ぶくじで要職を決めていたことで知られています。歴史で最も古い宝くじとされるのは、紀元前206年の古代中国で漢の軍師超良が、万里の長城建設の財源のため発行した白鳩票といわれます。ローマ帝国でも、貴族や市民の間の娯楽や都市建設などの財源確保のため、宝くじが利用されていました。庶民の娯楽の意味としても長い歴史があるのです。

中世になるとヨーロッパでは、貧しい人の救済や公共事業の財源のくじが売られるようになり、1520年のフランスでは国家財政のため、ブランクと呼ばれるくじが発売されています。イギリスでも当時の植民地経営や設備建設の財源として、1600年代に何度も宝くじが発行されています。日本では1624年に宝くじの原型となる富くじがおこなわれ、宝くじの歴史が始まることになるのです。

日本の宝くじの歴史は江戸時代、福運を授ける意味

1624年(嘉永元年)瀧安寺でおこなわれた富くじが、日本の宝くじの歴史の始まり。正月の元旦から7日までの参拝客が名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日に僧が唐びつを3回ついて3人の当せん者を選び「お守り」が当たる、福運を授ける意味だったのです。

富くじは全国に広まり、金銭と結びつくことで庶民の間で人気を得ます。しかし1692年に「人心を乱す」と幕府によって神社や寺以外の富くじは禁止され、1892年の天保の改革で全面的に禁止されてしまうのです。天保の禁止令以来、日本の宝くじは約100年以上の間、発売されないことになるのです。

現在の宝くじの始まりの第1号の宝くじが発売されたのは、終戦直前の1945年(昭和20年)、軍事費調達と戦勝祈願の意味を込めて、「勝札」が1等10万円で発売されました。しかし抽せん前に敗戦を迎えたため、「負札」とも呼ばれたのです。そして、1947年に、第1回東京都復興宝くじが発売されることになるのです。広く普及した宝くじですが、9月2日の宝くじの日は、当せんしても引き替えられない宝くじの時効防止のPRで制定されたのです。

前後賞は1等の番号の1つだけ数が前後している意味

宝くじの前後賞は、1等の前後2枚が当せんとなります。1等と2ケタの「組」が完全に一致しているうえで、次の6ケタの番号の末尾の下1ケタが抽せん番号の前後になっている賞です。例えば、1等が「00組 012345」であれば、前後賞は、前賞「00組 012344」、後賞「00組 012346」となるのです。

宝くじの前後賞は、当せん金額を1億円にする意味で作られた賞とされています。1987年に、宝くじの賞金は1枚300円の金額に対して20万倍規定が適応され、最高当せん金額は1等6000万円となります。1989年に、1等の前後賞が定められ、前後賞の2000万円と合わせることで、合計の当せん金額が夢の1億円となったのです。

宝くじ組違い賞は、組番号が違うという意味

宝くじの組違い賞は、1等と全く同じ6ケタの番号で2ケタの組が異なる番号の賞です。6ケタの番号さえ一致していれば、組が何番であっても当せんなのです。例えば「00組 012345」の組違い賞は、「11組 012345」、「22組 012345」などの番号であれば、組違い賞当せんなのです。

組違い賞は枚数が多く当せん確率も10万分の1と高いため、配当金は10万円と低い設定になっています。組違い賞は、1等のみの組違いで、2等以下には組違い賞はないのです。

宝くじは、1億円以上の1等、前後賞、組違い賞を含め、受取人が現れない未換金のままの宝くじは、かなりの枚数があるのです。1年を過ぎると、時効当せん金となり受け取れなくなってしまうため、手持ちの宝くじが外れていても、よく番号を確認する必要があるのです。

時代のニーズと歴史に合わせて変化していく宝くじ

1967年に制定された毎年9月2日の宝くじの日は、当せん者があらわれず時効になってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPR目的の意味も含めて制定されました。前年9月1日から、その年の8月31日までに抽せんされた外れくじを対象に、宝くじの日記念お楽しみ抽せん(宝くじ敗者復活戦)がおこなわれるのです。

紛失も考えられるものの当せんしても気がついていない場合も多いため、外れたと思った宝くじも宝くじの日まで捨てずに取っておき、お楽しみ抽せんで改めて番号を確認することで未換金の番号を見つけることが目的なのです。

庶民の夢として長い歴史がある宝くじは、時代のニーズと歴史に合わせて当せん金金額も推移し、1945年(昭和20年)には10万円だった1等は、2015年(平成27年)の年末ジャンボでは、1等7億円と前後賞、各1億5千万と合わせて10億円となるのです。少額で夢を買う庶民の娯楽として、その収益金は社会貢献事業の財源として幅広く活用されているのです。

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