春分の日 3月20日

春分の日の起源や語源、歴史、
また春分の日に行われる行事など春分の日に関することを解説。

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日本における春分の日

春分の日は日本の祝日の一つですが、毎年3月20日か3月21日のいずれか一日が選ばれる特別な祝日です。なぜ年によって異なるかといえば、それは春分の日が年によって異なるからです。

そもそも春分の日とは、昼と夜の長さが同じになる日のことをいいます。冬は日が沈むのが早いために夜の長さの方が長く、夏は日が沈むのが遅いため昼の方が長くなるために、その中間の春と秋にそれぞれ一度ずつだけ、昼と夜の長さが同じになる日があります。この日を国民の祝日とする習慣はむかしから存在しました。もともとこうした習慣が始まったのは日本では明治時代までさかのぼります。春分を選んで祝日にするのは現在と変わらなかったのですが名称が異なり、現在の春分の日という名称になったのは1948年からです。

古い起源を持っている習慣

もともと、この春分の日にお祝いをするというしきたりは非常に古い起源を持っていることでも知られています。もとはといえば、この習慣は海外から伝わってきたものでした。

春分の日の最も古い起源は、西アジアにペルシア帝国が存在した古い時代にまでさかのぼります。当時のペルシア帝国においては昼と夜の時間が同じになる春分の日がイラン歴の上において、元旦にあたりました。ですからこの地方では昔から、この日にお祝いをするという習慣が古くからありました。そのことが春分の日にお祝いをする起源になっています。この習慣はペルシア帝国の影響下にあった西アジアからアフリカ北部の非常に広い範囲において広まっているため、世界的にもなじみの深い、共通に認識されている行事となっています。

ノウルーズという祝日

このペルシア帝国で春分の日を祝うという習慣は、現在においても続けられている地域があります。この日を祝日にしているのは日本だけではなく、西アジアや北アフリカの広い地域では現在でもこの日を特別に、ノウルーズと名付けて毎年、祭日となっているからです。この日はこれらの国において文化交流がさかんに行なわれたりもしています。

もともとこの地域において、ペルシア帝国の時代からこのノウルーズの日を重要視した一つの理由には、この日が農業を行なう上で非常に大きな意味を持っていたことが理由にあげられます。なお、ノウルーズという言葉を日本語に訳すると「新しい日」という意味になります。ノウが新しいという意味で、ルーズが日という意味です。この習慣を一番初めに行ったのは、王の書という書物によれば、ジャムシードという伝説上の王とされています。

春分の日は決まっていない

毎年3月の祝日として訪れる春分の日ですが、法律では日にちが規定されていません。1948年に公布され、即日施行された「国民の祝日に関する法律」で他の祝日と同様に制定されました。この法律の第2条で、各祝日の定義が記載されています。

春分の日は、「春分日、自然をたたえ、生き物をいつくしむ」ための祝日となっています。この定義の中で、日にちが規定されていないのは建国記念の日と秋分の日と合わせて3つだけです。

建国記念の日は、別途政令で定めているため、実質的に日にちの規定がないのは春分の日と秋分の日だけです。この2つの祝日に日にちの規定がないのは、天文学的観測による出来事が由来とされているからです。毎年2月の第1平日付の官報で翌年の日にちが公告されます。

天文観測における春分日とは

春分とは、1年を24に分割した二十四節気の第4番目に当たります。天文観測的には太陽が春分点を通過した瞬間になります。春分点は太陽黄経が0度になった瞬間です。太陽黄経とは地球を中心として太陽がその周りを回っているとした時にその通り道を模したものです。そのため昼と夜の長さが等しくなった時と言われています。

測定する場所によって異なるため日本では14分程度昼の方が長いのが事実になります。春分日はこの春分点を通過する瞬間が属する日になります。

このように天文観測的な出来事を由来としているため、毎年国立天文台が作成する『暦象年表』によって閣議決定されます。基本的に計算によって数年後まで日にちを特定することは可能ですが、今でも毎年閣議決定を経て決める慣習が残っています。

春分の日とされる日付

春分の日は、毎年3月の20日から21日ごろの日付とされています。近年は2月の閏年の影響により、その年と翌年に20日が春分の日となりますが、その他の年は21日になります。このような条件は1990年から2025年まで続きます。
2026年以降は閏年とその翌年は21日となりますが、その他の年は20日になります。

1990年以前は22日になることもありました。天文観測的なことなので、長い期間をかけて少しずつ変化が見られます。同じように天文観測的に日にちを決める秋分の日と比べると両日がほぼ同じ割合になっています。
秋分の日は、ここ15年ほとんど23日に設定されています。

このようにどのような変化が起こるかはわからないため、毎年閣議で決定してから設定されます。

春分の日に込められた意味合いとは

地軸が傾いている地球は、赤道が太陽と並行に回転してはおらず、ずれて回っています。地球から見ると、黄道の円に天の赤道の円が交差するのは1年に2回です。

このうち、3月20日あるいは21日頃交わる日は春分の日と呼ばれ、9月23日頃交わる日は秋分の日と呼びます。21日頃とされているのは、地球の公転が正確な365日にはなっていないからです。実際は365.24219日程度で、6時間弱ほどの遅れが発生するためです。

つまり、年々春分の日が遅くなっていく計算になりますが、うるう年が実際は4年に1度が存在して、4年分の遅れをリセットしています。春分の日には、自然を賞賛し、生物を慈しむ意味があり、春に植物が芽吹いたり、冬眠から目が覚めることなどと関連付けられています。

春分の意味の語源について

春分の日には、「分」という文字が入っています。この漢字は割り算と同様の意味で、分割すること、すなわち半分にするといった意味があります。

例えば、三国志に登場する諸葛亮孔明が「天下三分の計」と述べていますが、この言葉の意味は、天下を3つに分割することを表します。「三分」なら3分の1を意味し、単に「分」なら2分の1を意味します。

古代中国で取り入れられた陰陽思想では、夜と昼のことを陰と陽と捉えていましたので、春分の日と秋分の日は、1日の中で昼と夜の時間が半分に分けられるので、特別な日とされてきました。

しかし、あくまでもこれは古代の話であり、現代においては、春分の日と秋分の日とはいっても、昼と夜の時間をちょうど2分割するということはないと言われています。

春分の日は祖先に感謝を捧げる日

春分の日は、3月の21日頃のことを言い、自然を称えて将来を見据えて努力する日という意味が込められた祝日です。

日付については、祝日法では春分日とされており、その前年の2月1日、国立天文台作成の「暦象年表」と呼ばれる小冊子に基づき、閣議で決められて官報を通じて発表されます。

古来の人々は、この日のことを春が訪れたことを祝う日としてきました。同時に、祖先に対して感謝を捧げるお祭りを催し、こうした風習は農村部において長い間続いてきました。

明治時代には、春分の中日は「春季皇霊祭」と定められ、宮中で祖先を祭る日とされたことがきっかけになり、市民の間においても祭日になりました。

その後、1948年になると、古来から伝えられる自然に感謝を捧げる日として法律で定められましたが、今でも、春分の日と言えば「お彼岸」というイメージが強く残されています。

春分の日は昼と夜の長さが同じ

春分の日は自然に感謝をし、将来に備えて努力をしようという日のことをいいます。大体3月21日前後ですが、いつになるかは前年の2月1日に国立天文台が作成する「暦象年表」に基づいて閣議で決定されますので、毎年違います。

決定された時には官報で発表されます。この日は昼の長さと夜の長さが同じになる日だとされています。それは太陽が春分点にくるためです。春分点とは赤道を太陽が南から北へ横切る瞬間の交点のことをいいます。昔の人々にとって春分の日は非常に不思議で、それこそ神にしか出来ないものであると考えられていたのです。暦はこのような天文学的な要素そして占いの要素の両方を併せ持ったものであることは間違いありません。ちなみにこの日にはマラソン大会も各地でよく行われています。

歴史上1948年に今のような日になった

自然に感謝し、春を祝福する日でもありますし、ご先祖さまに感謝をする日としてお墓参りに出かける日でもあります。明治時代くらいには春季皇霊祭として宮中で祖先を祀る日となっていましたが、それが一般市民にも広がって祭日となっていました。

そのため、1948年になって今のように自然を称えて将来のために努力をする日と定められることとなってもお彼岸のイメージは強く残っています。春分の日についてはあまり意味をよく知らないという方も少なくありませんが、今は温暖化も進んでおり、自然な場所がどんどん少なくなりつつあります。動物達の生態系も変わってきており、自然がピンチであるともいえます。そんな現代だからこそ春分の日のような自然に感謝しようという日には出来る努力をしてみるのが良いでしょう。

春季皇霊祭とはどういうもの?

明治時代頃に行われていた春季皇霊祭とは簡単に言うと、春になったら天皇家のご先祖さま皆を祀る日のことをいいます。明治時代の時点でそれまでの歴代天皇の数は121人いました。

この全員を1人1人祀ろうとすればどれだけ大変か想像できるでしょうか。国を統べる天皇家の人々をいい加減に祀るわけにはもちろんいきません。そこで、2人の天皇以外の119人の天皇並びに皇后、そして皇親を全て一度に祀ろうということになったのです。

しかし戦後、この名前は軍国主義の名残りがあるということでそれをなくすべく、現代の「春分の日」という名前に変わったのでした。そしてかつての豊作を祈るという願いや天皇家の人々を祀るという意味合いから先祖のお墓参りに行くという意味合いへと変わっていったのでした。

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