昭和の日の制定までの天皇と国民の関わり方 - 昭和の日 2018年4月29日 -

-AD-

昭和の日が生まれた経緯

昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御され、それまで、昭和天皇の誕生日として祝日とされてきた、4月29日はみどりの日として祝日のまま残されました。みどりの日という命名は、自然をこよなく愛された昭和天皇を偲んでつけられました。

昭和天皇は、生前、全国植樹祭に必ずご臨席になり、ご自身の手により植樹をなさいました。天皇が崩御された場合に、生前の天皇お誕生日が祝日として残される慣例はありませんが、4月29日がゴールデンウィークに含まれるため、その日を何らかの形で祝日として残した方がよいという国民の要望が反映され、みどりの日となりました。その後、法律が改正され、4月29日は平成19年より昭和の日と改名されました。みどりの日は5月4日に移され、4月29日は昭和の日として国民に昭和を思い起こさせる日となりました。

日本における明治と昭和の時代的特殊性

大正の日がなく、明治節である11月3日の文化の日と4月29日の昭和の日が祝日にされたのには、日本の歴史における明治と昭和の特殊性が反映されたものです。

欧米列強が白人による有色人種の国家の植民地化を進める中で、日本は明治維新により、それまでの武家社会から、天皇を中心とした議会制民主主義社会へと移行を目指しました。政治体制を一新し、国民が一体となって、欧米列強が進める植民地化を阻止する必要があったためです。近代産業の育成と富国強兵政策により軍備を整えた日本は、日露戦争においてロシアと戦い、日本海海戦においてバルチック艦隊を撃滅し、ロシアと和平することに成功しました。もしこの戦いに日本が敗れたならば、日本がロシアを始めとする欧米列強の植民地となり、現在の姿ではなかったのは確実です。

日本の国の成り立ちと国民の祝日

日露戦争を乗り切った日本でしたが、欧米列強が日本を世界から排除したい思いには変わりはありませんでした。日本がいなければ、白人が有色人種を自由に支配できたからです。昭和に入り、欧米列強はABCD包囲網により、日本の石油入手を困難にし、日本の軍艦を無力化しようと考えました。日本は1941年12月8日、空母6隻から飛び立った攻撃機により、米国太平洋艦隊の本拠地であるハワイ真珠湾を攻撃し、米英に宣戦布告しました。

戦いは、米国が陸軍の半分、海軍と空軍の主力全てを日本との戦いに投入し、激烈を極めました。特に、南方の島々やインドシナ半島、硫黄島、沖縄において多くの日本兵及び住民が犠牲となり、原爆投下によって日本は終戦を選択することになりました。明治と昭和の戦争を長く日本人の心に記憶し、国家の独立を祝う必要があることから、文化の日と昭和の日は国民の祝日となりました。

この記事が気に入ったらいいね!しよう