梅雨の末期には特に発生しやすくなる災害 - 梅雨 6月~7月 -

梅雨とそのときに起きる災害についての解説。1957年、1982年、2004年に起きた梅雨の水害について。このサイトはシーズンごとのイベントや記念日、祝日などの語源、由来や関連する事柄を詳しく説明しています。

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1957年に発生した諫早豪雨

1957年に発生した諫早豪雨は、梅雨の最中に発生した災害の中では代表的なもので、記録的な短時間雨量を計測したことは今でも語り継がれています。

この豪雨は7月25日から7月28日にかけて発生し、長崎県を中心にする九州地方に甚大な被害をもたらしました。この地域は元から豪雨に見舞われることが多かったのですが、1957年の場合には前代未聞の雨量となったために、河川では想定外の事態が発生しました。石造りアーチ橋の眼鏡橋が川の流れを堰き止めたことで、被害が拡大したと言われています。この影響で眼鏡橋は解体される可能性が生じたのですが、幸いにして保存されることになりました。

この未曾有の豪雨を教訓とする形で、諫早地方では治水に関する整備が進められましたが、自然保護を進めながら難しい判断を迫られることになりました。

1982年の梅雨末期に発生した長崎大水害

1957年に諫早豪雨によって被害を受けた長崎県では、1982年の梅雨の時期には再び災害に見舞われました。7月23日には長与町において、1時間の雨量が187ミリに達して観測史上最高の記録を観測しています。

1982年の場合でも梅雨の末期に見られる大雨が続いて、長崎県内の各地では地盤が緩くなっていました。河川の治水機能を上回るほどの大雨が短時間で降った影響で、斜面では土砂崩れが発生しました。長崎市は坂道が多い街として有名ですが、急峻な地形の場所に住宅が密集しているため、豪雨によって土砂崩れが発生しやすい状況になっていました。

1982年の長崎大水害は、都市が抱える構造的な弱点を突かれた形で発生したため、後世の時代に多くの教訓を残す形になりました。

2004年の梅雨に発生した新潟福島豪雨

平成の時代になってからも、梅雨の末期には各地で集中的な大雨が発生していましたが、2004年の新潟福島豪雨の被害は特に甚大でした。

この災害は2004年の7月13日に集中して発生しましたが、続いて5日後には福井県でも同様に豪雨に見舞われています。この災害では主に信濃川水系の河川で流量が増えて、大きな被害をもたらしたのが特徴です。場所によっては総雨量が400ミリを超える事態となったことで、本来の治水機能を活かすことが困難になり、結果的には洪水の被害を拡大させてしまったのです。

新潟福島豪雨の原因は、前線が長期にわたって停滞し、湿った空気の影響で同じ場所で大量の雨が長時間にわたって降ったことにあります。急峻な地形も影響した模様ですが、このような現象は梅雨の末期には日本の広い範囲で発生する可能性があります。

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