秋分の日 - 2017年9月23日頃 -

秋分の日の起源や語源、歴史、
また秋分の日に行われる行事など秋分の日に関することを解説。

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秋分の日はどんな祝日?

毎年9月23日頃を秋分の日といい、祝日に定められています。春分の日と同様昼と夜の長さが同じになる日、と記憶されている方も多いのではないでしょうか。天文学上ではこの日を「秋分日」と呼びます。

秋分の日は1948年に「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として祝日に制定されました。毎年2月1日に国立天文台が作成する「暦象年表」に基づき、閣議で来年の秋分の日の日にちが決められています。天文学に基づいて毎年決定される国家の祝日は世界的にみても珍しいようです。

この秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸」といいます。毎年この時期に墓参りや法会をするという方も多いのではないでしょうか。
では何故、この時期を彼岸といい、墓参りなどの先祖供養をするのでしょうか。今回はその起源とお彼岸について見ていきたいと思います。

自然信仰を起源とする秋分

秋分の日の起源は古くからの自然信仰にあると考えられます。

農村では古来より山の神を祭る自然信仰があります。山の神は祖先の霊ともいわれます。かつて人々は山の神を春分の頃に山から里へ迎えて豊作を祈願し、秋分の頃その年の豊作を祝い、その後神を里から山へ送る儀式を行いました。現在でも日本各地で春と秋の祭礼としてこれらの儀式は根付いています。

山の神を迎え、また送る儀式は仏教の浸透とともに「先祖を供養する」という意味合いを持ち、春分・秋分を「春の彼岸」「秋の彼岸」というようになりました。

さらに、明治期に入ると秋分の中日は「秋季皇霊祭」として祝祭日に定められ、宮中では祖先を祭る日となりました。このことがきっかけで、一般市民にもこの日に先祖の供養をすることが定着していきます。

国民の祝日制定とお彼岸

秋季皇霊祭は1947年まで祝祭日でした。そして1948年、「国民の祝日に関する法律」により、墓参りや先祖供養の日等の宗教的慣例としてのまつりの日だけではない広い意味での「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として「秋分の日」に改称され国民の祝日に制定されました。ちなみに春分の日も、明治期に春季皇霊祭として制定され、1948年同法律によって春分の日に改称されています。

ところで、秋分の日を含む一週間を秋彼岸といいますが、その一週間の中でも日によって名称が違います。秋分の日の3日前は「彼岸の入り」、3日後を「彼岸の明け」といい、この7日間を彼岸といいます。そして秋分の日は7日間の中間にあたるので「彼岸の中日」といいます。

また、「彼岸」は仏教では亡くなった先祖の霊が住む世界とされています。その先祖達を供養するため彼岸に墓参りや法会が行われるようになりました。

秋分の日はお彼岸の中日

秋分の日は、二十四節気(太陽が見える位置によって24等分された分岐点に季節を表す名称を付けたもの)の16番目に位置しており、毎年9月23日頃(地球の自転の関係で一年がきっちり365日では無い為9月22日になる年もあります)、太陽が真東から昇り真西に沈む日と決められています。昼と夜の長さがほぼ等しくなる日です。秋分の日の3日前を「彼岸の入り」、三日後を「彼岸の明け」といい、その七日間を「彼岸」といいます。

秋分の日はその中間にある為、「彼岸の中日」と呼ばれています。「彼岸」は元々、仏教用語で「亡くなった先祖達の霊が住む世界」とされていることから、彼岸に入ると各家々では、お墓参りに行ったり、祖先を供養する「法会」が行われるようになってきました。

秋分の日と日本人の自然崇拝の関係

日本は、元来「神の国」といわれ、古来から自然崇拝の慣習がありました。農村部においては、祖先の霊を山の神として崇めていて、春分の前に農作物の豊作を祈って、山の神として崇められている祖先の霊を迎え、秋分以降に豊作を感謝して山へと送る儀式が行われていました。その後、仏教が伝来し、浸透して行くにつれ、西方浄土(太陽が沈む西方に極楽がある)にならい、春分や秋分の時期になると、亡くなった先祖を供養するようになったのです。

供養する際に、お萩(牡丹餅)が供えられるのにも理由があります。小豆の赤い色には災難から身を守る力があると信じられていて、邪気も払ってくれるという信仰があった為です。この慣習は江戸時代に庶民の間から広まったといわれ、現在でも引き継がれています。

秋分の日は秋季皇霊祭が由来

秋分の日は、明治時代の「太政官布告(だじょうかんふこく)」において定められた「秋季皇霊祭」が祭日になったことが由来となっています。「皇霊祭」とは、歴代の天皇、皇后、皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の一つです。江戸時代までは仏式で行われていて、神式で行われるようになたのは明治以降です。毎年2回春と秋に行われ、春を「春季皇霊祭」、秋を「秋季皇霊祭」といいます。この「皇霊祭」が国民の間でも祭日として定着していったのです。

その後、昭和23年に制定された「国民の祝日に関する法律」によって、以前の祭日であった秋季皇霊祭は廃止され、「先祖をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日として祝日に制定されたのが「秋分の日」なのです。すなわち、「秋分の日」は祖先の霊を偲んで供養する日でもあるのです。

秋分の日と二十四節気との密接な関係

秋分の日は二十四節気の第16番目に位置しています。二十四節気は太陰暦の日付と季節を合わせる為に考え出されたものです。太陰太陽暦(明治5年まで使用)の和暦である天保暦も二十四節気を使用していました。現在の旧暦は天保暦に基づいたものなので、旧暦の日付を決定する為には二十四節気が必要となります。二十四節気は、一年を太陽が見える位置を基に24分割してその分岐点及び期間に季節を表す名称をつけたものです。

その中に馴染み深い「立春」、「春分」、「夏至」、「秋分」、「冬至」などがあります。この「秋分」が語源となり、秋分の期間の中でも太陽が真東から昇り、真西に沈む日を「秋分の日」としたのです。毎年9月23日頃となっていますが、年によっては日付がずれることがあります。これは「うるう年」のようなもので、地球の自転の時間のずれによって起きてしまうのです。

自然崇拝と仏教の交わり

「秋分の日」は、日本人の民族性と深い関わりがあります。日本は神道の国と言われ、古来より八百万の神信仰があり、自然崇拝を慣習としてきました。祖先の霊を山の神として崇め、春(春分)の前に農作物の豊作を祈願し里に迎え、秋(秋分)以後に豊作を感謝して山に送っていきという儀式を行っていました。その後、仏教が伝来し根付いていくとともに宗教的な要素が加わっていきます。秋分も「秋彼岸」として、祖先を偲び、供養するという意味合いも含まれるようになってきたのです。

「彼岸」は仏教用語で、亡くなった先祖達が住む極楽浄土をさしています。彼岸の対語として「此岸」があります。此岸は煩悩の世界(現世)のことで、修行を重ね悟りを開けば極楽浄土に行けるという教えでもあります。時代の変遷とともに、自然崇拝の精神や仏教の教えなどが結びついて現在の形になったのです。

秋分の日のもととなった秋季皇霊祭

「秋分の日」が祝日になったのは、昭和23年に制定された「国民の祝日に関する法律」においてです。この祝日のもとになったのが、明治11年に太政官布告23号において祭日と制定され、後に「秋分の日」に改められることとなった「秋季皇霊祭」です。秋季皇霊祭とは、毎年秋分の日に宮中で行われる歴代の天皇、皇后、皇親の霊を祭る儀式の事です。江戸時代までは仏式で行われ、明治以降に神式で行われるようになりました。

秋季皇霊祭が祭日になったことで、庶民の間でも「秋分の日」にお墓参りをしたり、法会を行い祖先を供養するという儀式が定着していきました。日本人は古来より自然の恵みに感謝し祖先を尊ぶという習慣が身に付いていたのです。「秋分の日」には宗教的な祭りだけでなく、「祖先をうやまい、亡くなった祖先を偲ぶ」という思いが込められているのです。

秋分の日の祝日としての歴史は、皇霊祭から

秋分の日は、1948年に「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として、国民の祝日に制定されました。毎年9月23日頃の昼の長さと夜の長さが等しくなる日が、指定されます。この日は、季節変化を表す二十四節気の16番目にあたり、国立天文台が発表する暦象年表に基づいて決められます。もともとは、秋季皇霊祭という、皇室の歴代天皇や皇后、皇族など先祖の霊を祭る儀式、秋季皇霊祭がおこなわれていた日でしたが、1878年に国民の祭日に制定されていました。

戦後、GHQの統治下で、国民の祭日とするには宗教色が強すぎるということで、皇室だけでなく、すべての人を対象として、先祖を大切に思う日と形を変えて、新しい祝日になりました。皇霊祭は宮中祭祀として、現在もおこなわれています。

仏教でも意味のある、秋分の日

皇室の秋季皇霊祭は、神道に由来するものですが、仏教でもこの日は、特別な意味のある日となっています。真東から日が昇り、真西に沈むこの時期は、先祖の住む彼岸と、生きている人が住む此岸が通じやすいとされているからです。彼岸の期間は秋分の日を中心にした一週間があたり、お墓参りや法要などをして、祖先をしのびます。

また、仏教では彼岸の7日間には、一日ずつそれぞれ意味があるとされているのですが、中日である秋分の日は、感謝の意味がある日なので、特にお墓参りには適しているといえます。このような行事は、他の仏教国には見当たらず、日本独自のものです。お彼岸の起源となるような行事は、平安時代に身分の高い人たちによって始まり、やがて、一般の人にも広まってきたといわれています。

気持ちのいい季節に、心を新たにする日

また、形をもった宗教とは別に、自然信仰として、農村部には春分の頃に豊作を願い、秋分の頃に豊作を祝い感謝する風習がありました。春分の前に山の神様である祖先の霊を山から里に迎え、秋分の後に山へ送るという儀式がおこなわれていたといいます。そのため、日本人にはもともと、春分と秋分に、自然や祖先に感謝する素地があったということです。

春や秋の季節特有の過ごしやすさと、特に秋分には収穫の喜びもあり、人々は感謝の思いを表したいという気持ちを育んできたといえます。そこに入ってきた仏教や暦などの影響を受け、現代にも生きる行事につながってきました。秋分の日は、自然と文化が絡み合いながら、日本人に根付いた特別な日として、自然や祖先に思いをはせながら過ごしたい日です。

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