節分 - 節分 2018年2月3日 -

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節分

節分とは雑節、つまり季節の移り変わりを広く知らせるために行われていた催事の一つであり、もともとは立春、立夏、立秋、立冬の季節の始まりの日の前日に行われるものでした。
これは節分が「季節を分ける」という文字から構成される理由でもあります。
文化としての節分はもともと宮中で行われていた「追儺」と呼ばれる厄除祈願であったとされており、平安時代中期に編纂された延喜式にも記載があるため、平安時代以前より日本にあった非常に歴史の深い文化であると言えるでしょう。

平安時代以前に生まれた節分が現在のように豆をまいて鬼を追い払う日になったのがいつなのかというのは判然としていませんが、「鬼は外、福は内」という掛け声が記録されている最も古い文献は1447年に刊行された臥雲日件録というものです。
また鬼に豆を投げるという発想は平安時代初期の宇多天皇が鞍馬山から出てきた鬼を退治するために炒り大豆で鬼の目を潰したという伝説がルーツとなっており、これは現在まで連綿と続くものになっています。

先ほど述べたように節分は最初の頃、宮中行事として行われており、市井の人間にはあまり関係が無いものとして扱われていました。
ただ鎌倉・室町時代ごろまでにかけて貴族文化から武家文化への文化の変容が起きて「追儺」の宮中文化が形骸化していくと、それを寺社が受け継ぐような形で文化が残されました。
そして寺社が豆まきの節分を全国で催すようになると、武家や市井にも知られ、盛んにおこなわれるようになってきたため、日本では鎌倉・室町時代ごろから盛んになったと言うことができます。

現在の節分は豆をまいて邪気を払い、家族が無事平穏に暮らせることを祈願する行事として全国で行われています。
また現在だとスーパーやコンビニなどで恵方巻きが広く販売されるようになっていますから、恵方を向いて恵方巻きを食べる日という側面も持つようになりました。
恵方巻きについては大正時代以降に作られた新しい文化ではないかと言われており、伝統的な節分とは関係ないと否定する向きもありますが、おおよその人にとっては恵方巻きも立派な文化の一つだと言えるでしょう。

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