花見 3月~5月

花見の起源や語源、歴史、
おすすめの名所や開花時期など花見に関することを解説。

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もともと花見は呪術的な行事だった

日本人にとって花見は春に行う一大イベントです。しかし、いつの時代から花見が行われていたのかをご存知の方はそれほど多くはないのではないでしょうか。実はその起源はなんと古代神話時代より昔だといわれています。

かつて八百万の神達の中に「サ」と呼ばれる山や田の神がいました。そして神が鎮座する場所をクラと呼んでいました。つまりサクラとはサ神が根元に座っていた木のことだったのです。そしてサ神を信仰していた農民達がサクラの木の根元に豊作を祈って供え物をして、その前で宴を行ったのです。こ

れがなんと遺伝子として受け継がれたことによって、日本人は桜の花見を好んでイベントのようになったのではないかという説があります。日本には田んぼも多いですから、サ神を信仰していたというのも納得です。

桜ではなく、最初は梅が花見の対象だった

日本といえば桜、そして日本人が好きな花といえば桜と言うほど桜は日本の代表的な花ですが、かつては実は桜ではなく梅が宴の主流だったのをご存知でしょうか。

平安時代へ入る前くらいまでは桜ではなく、梅の歌も非常に多かったのです。理由としては当時は中国の文化に強い影響を受けており、中国で愛されていた梅を日本でも大切にしていたのです。ところが、遣唐使が廃止される頃になると中国の影響を受けることは少なくなりました。

そのため、この頃になると宮中内に植えられていた梅は桜の木へと植え替えられるようになったのです。これには地球の温暖化も関係していたとされ、梅よりも桜のほうが先に花を咲かせることから梅を愛でる宴よりも桜を愛でる宴を開くようになったのだとされています。

やがて貴族や武士の宴に

奈良時代頃からは貴族達が楽しむ宴へと変化しています。この時代から現代の花見に近いようなイベントとなっていたのです。そして平安時代になるとさらに桜人気は高まり、様々な歌に桜のことが詠まれるようになりました。そして時代は進み、鎌倉時代頃には貴族だけではなく、武士はもちろん町民の間でも人気となっていったのです。

現代では花見の名所として数々の寺社がありますが、それらの桜も鎌倉時代頃に植えられたものが多かったのではないかといわれています。そして江戸時代に入ると、完全に庶民の楽しむ娯楽となっていたのです。歴史的に有名な花見は2つあります。1つが812年の花宴の節、そしてもう1つが醍醐の花見です。特に後者の醍醐の花見は秀吉公が行った大々的なもので、1300人もの人々が参加していたといわれています。

もともとはお祓いの行事だった

日本人なら誰もが知っている、春の代表的な行事が花見。桜の木の下で美味しいお酒と料理を食べ、和気あいあいと過ごすのを心待ちにしている人は多くいます。一方で羽目を外した大騒ぎや、前日からの場所取りがあって苦手という人も。現在は宴会やレクリエーションの意味合いが強い花見ですが、本来はどのような目的で行われるものだったのでしょうか。その由来を考えてみましょう。

古代の日本人は、花見をお祓いの宗教的行事と位置づけていました。山や田の神様を「サ」と呼び、魂の鎮まる場所が「クラ」。サ神がその根元に鎮座したとされる木を、「サクラ」と名付けたのが桜の由来です。当時の人々は春になると野山に出かけ、桜の花を愛でる事で厄を落としたそうです。お酒を飲むような習慣は、まだありませんでした。

貴族から武士階級に伝わる

奈良時代になると、貴族の間で桜を見て歌を詠む事が流行しはじめます。万葉集にも桜をモチーフにした歌が、多数詠まれています。その美しさやはかなさを、文化的な目でとらえるのも一般的になってきました。その傾向は平安時代さらに強まり、貴族が集まって歌会を頻繁に開いています。花見は宮中の恒例行事にもなり、天皇の主催でたびたび行われた記録が残されています。

そして鎌倉時代になると、花見の習慣は武士階級や一部の町人にも伝わります。お寺などに桜の木が、盛んに植えられるようになったのもこの頃です。当初の宗教的・文化的な意味合いはだいぶ薄れてきて、単に桜の近くで騒がしい宴会をするようなケースも増えてきました。吉田兼好は「徒然草」の中で、その様子を苦々しく批評しています。ある意味では現代の形に、近づいてきたとも言えます。

庶民への広まりと桜の品種改良

室町時代や戦国時代になると、各地の大名が競って花見の祝宴を開くようになりました。特に豊臣秀吉による大宴会は、その豪華絢爛さが語り草になっています。江戸時代には庶民へ花見が完全に浸透し、花を観賞しながらお酒を飲むスタイルが定着しました。料理や余興が多く披露されるようになったのもこの頃です。

また江戸後期には町民の植木屋によって、桜の新しい品種「ソメイヨシノ」が作られました。見栄えのするこの品種は評判を呼び、全国各地に広まりました。今や花見の代名詞にもなっているソメイヨシノですが、問題は木の寿命が短いところ。もともとは一本の木をクローンのような手法で増やしたため、当時植えられたソメイヨシノが同時に寿命を迎え枯れてしまう可能性もあります。桜の花と同様に木もはかない存在であると理解し、大切に鑑賞したいものです。

桜はなぜ、サクラと呼ばれるのか

お花見と言えば、開花の時期に気の置けない仲間と楽しむ日本文化の1つ。そのルーツは奈良時代や平安時代の貴族文化が元になったものです。奈良時代には梅の花を愛でる行事が貴族の間で盛んになり、平安時代には嵯峨天皇が桜の花を愛でる花宴を開き、花見といえば桜を愛でる行事となっていきました。

このように花見自体の歴史が明らかになりつつある現代でも、未だに謎の多いのが桜そのものです。名前の由来自体に数多くの説があり、なぜ桜がサクラと呼ばれるようになったのかは、今も明らかになってはいません。

こうした謎を解明する試みは、実は意外と古い時代から行われています。それぞれの説に根拠があり、それを裏付ける証拠も存在する興味深い説が多いものです。そこで、ここではお花見にまつわる謎として、桜の語源説について紹介します。

桜の語源、日本神話説

桜の語源については真面目な研究がなされていて、様々な研究で多様な説が発表されているものです。例えば、日本神話の木花開耶姫(このはなさくやひめ)を由来とする説は、有名な説の1つです。

木花開耶姫説は、江戸時代中期に国学者の谷川士清が著した「和訓栞」の中で触れられている説です。日本で初めて桜の木が神座した伊勢朝熊神社の祭神が木花開耶姫であり、桜の木をご神体とする事等から、女神の名前から転じて桜と呼ばれるようになったとしています。

神話を由来とする説は他にも多くありますが、これとは別の有名なものに、古い言葉に由来するという説もあります。この説では、桜のサは穀物の神の名前、クラは神座を意味するものとされています。収穫の良し悪しを占う為に、桜の花の咲き具合や咲いている期間等を観察した。これが桜の語源となったという説です。

桜の語源、言葉の転化

桜の語源には、神話に由来しない言葉の転化であるという説も多くあります。例えば、花が咲き群がる様子を指す「咲羣」が略されてサクラと呼ばれるようになったという説。また、他の花よりも麗しく咲くという意味である、「咲麗(さくうら)」を略したのがサクラという説等があるものです。

言葉の転化から追及する説は、古い時代の資料を元に、サクラの音に近いものを提示しています。サクラの音に近く、桜の咲き乱れる様子を意味する言葉であれば、桜の語源として蓋然性が高いという事です。ただし、これらも決定的な説とはなっていません。

桜は長い歴史を持ち、古い時代から日本人に愛されてきた花です。最近になって作られたものではない長い歴史あるものだからこそ、桜の語源を辿るのは容易ではありません。そうした謎の多さもまた、現代人にとって桜に神秘性を感じさせ、国民的な人気に繋がっているのです。

お花見はいつから始まったのか

毎年、桜の開花時期になると、日本中でお花見が行われます。国民行事と呼べるほど幅広く親しまれている催しですが、その起源は意外に古く、歴史も長いものです。最古の記録としては、平安時代に嵯峨天皇が開いた花宴の節があげられます。

ただし、あくまで記録に残るものとしての最古のもの。それより古く奈良時代から貴族達に親しまれていた梅の花を愛でる行事もあります。更に古い起源を辿ると、日本神話の世界にまで遡ることもできるほどの歴史があるものです。

これらのように、花見の歴史はかなり古いものがあり、神話にまで到達するほどの深い由来があります。何故、日本人がこれほど花見を好むのか。その理由には、古来受け継がれてきた日本の精神と文化とが、現代人にも確かに息づいているからと言えるでしょう

お花見の姿は移り変わるもの

お花見は古来受け継がれてきた日本の精神と文化。しかし、その姿は時代によって移り変わるものです。奈良や平安の行事の頃から、飲食や歌踊を楽しむ点は現代と変わりません。しかし、当時は宮中の貴族達だけが嗜むものでした。

現代のように多くの人々が行事を楽しみ始めたのは、桃山時代以降です。豊臣秀吉が催した大花見の影響で、桜の下でごちそうやお酒を飲んで楽しむ文化が瞬く間に人々へ広がります。こうして、花見は華やかで多くの人々の活気が溢れるものへ進化したのです。

江戸時代に入った頃には、現代のスタイルが固まります。江戸の河川敷に桜並木が築かれ、着飾った人々が身分に関係なく飲めや歌えと楽しむ。無礼講になる事もしばしばで、やがて御法度とされてしまいます。これを暴れん坊将軍で有名な八代将軍吉宗が解禁し、季節の催しとして奨励。以後、花見は日本の文化として完全に定着しました。

桜の代名詞、ソメイヨシノは新しい品種

花見の主役である桜、その代名詞と言えるのがソメイヨシノです。今や海外でも植樹され、多くの方に愛される美しい桜ですが、実はその歴史は意外に新しいものです。

ソメイヨシノは明治時代に、現代の豊島区にあった染井村で交配されたと言われます。植木職人が大島桜と江戸彼岸桜を交配してソメイヨシノを作り上げたと言われ、当初は桜の名所である吉野にあやかって、吉野あるいは吉野桜と呼ばれていました。すぐに立派な木へ成長する為、明治期を通じて全国的に植樹されていき、桜といえばソメイヨシノという、現代の桜の景色が広まったのです。

後に、博物学者である藤野寄命が上野公園で桜を調査した際、吉野桜は山桜と異なる種類であると確認されました。吉野桜では吉野山の山桜と紛らわしい為、染井村の名をつけてソメイヨシノの名前になったのです。こうして、現代に親しまれるソメイヨシノが誕生しました。

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