長崎原爆の日 - 2017年8月9日 -

長崎原爆の日の起源や語源、歴史、
また長崎原爆の日に行われる行事など長崎原爆の日に関することを解説。

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長崎原爆の日とは

「長崎原爆の日」とは、その名の通り長崎県に原子爆弾が投下された日です。1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍に酔って長崎県に原爆が投下され、多くの人が犠牲となりました。一瞬にして24万人の人口の3分の1にあたる7万人の命が奪われ、一命を取り留めた人の中にも様々な原爆後遺症に悩まされています。世界で唯一の「被爆国」として知られる日本において、この日をいつまでも忘れないようにするために、長崎原爆の日が制定されました。

長崎原爆の日の由来は、同時に長崎に原爆が投下されたことですが、アメリカ軍は当初長崎に原爆を投下する予定ではありませんでした。実は、アメリカ軍は福岡県小倉市(現在の北九州市)に原爆を投下する予定だったのです。しかし、小倉市の日本軍「陸軍小倉守備隊」が、原爆を投下した「B-29」に必死で応戦し、原爆を投下するために必要な高度まで下げられなくしたのです。また、小倉市にあった「八幡製鉄所」の煙の影響も、小倉市に原爆が投下されなかった理由です。

長崎に原爆が投下された8月9日の3日前に、広島にも原爆が投下されており、こちらも「原爆の日」としてよく知られています。しかし、世界的には広島の原爆投下の方が知名度が高く、長崎の原爆投下に関してはあまり取り上げられないのが現実です。しかし、被爆地長崎に住む人々の思いは今なお強く、8月9日の午前11時2分に原爆投下の犠牲者を悼んで黙祷が捧げられます。広島と並んで被爆地として知られる長崎、そこに住む人々の思いは今も変わらないのです。

長崎原爆の日に関連して、2007年6月30日に麗澤大学主催の講演会にて、当時防衛大臣を務めていた元政治家久間章生氏の発言「原爆投下はしょうがない」が、被爆者団体などから猛反発を受けたニュースは今もなお記憶に新しいところです。この発言には多くの批判が寄せられ、当時の首相だった安倍晋三氏からも厳重注意を受けました。その後、7月3日に久間氏は防衛大臣を辞職し、毎年参加していた長崎原爆犠牲者慰霊平和式典を欠席せざるを得ない状況になりました。

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